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宮沢喜一逝く [新聞より]

護憲派宮沢喜一が逝った。
小泉が無理矢理中曽根と同時に老害として引退させたあとはやせ細っていた。

近隣諸国条項をつくった男だ。
どの国も自分の国の教科書は自国でつくるが、日本だけは近隣諸国に配慮しなければならいというものだ。
北朝鮮、韓国、中国の教科書を見たことあるのか?と言いたかったがもういない。
どこも国定教科書だ。日本は左翼教科書がほとんどという中でも検定制度でその後選択できるという制度だというのに。
教科書だけでなく、改憲も中国が許さないからなんていっていたくらいだ。

特定アジアに媚びているし、反米的であるかと思うと娘?はアメリカ政府高官と結婚しているという。
とにかく日本を強くしたくない。
とにかく日本を弱体化したいという政策にめっぽう熱心だった。

天安門の後にシナに天皇陛下を訪問させてしまった。
これはシナからしたら朝貢と受取らせた。このときから謝罪外交は始まった。

リーダーシップ不足で不信任案で解散、自民党を分裂させた。

師匠筋の吉田茂は、憲法改正をすべきだったことに後悔をして逝ったのだが、側近だったにもかかわらず、似たところは米国への恨みのみ抱いていた。
小渕内閣では平成の高橋是清とおだてられたが、以前より金利政策も下手だったので常に宮沢が舵取ったときのインタビューの後はお決まりのごとく株価は失望売りで下落した。
株式市場からはあれほど人気のない政治家はいなかった。

さて、決定的な売国行為と思想のなさ、政策見通しの悪さ、経済政策の下手さ、政治家としてのあらゆる失策があったと思うが、どうしてこうも宮沢が政治の中心的立場にいられたのだろうかとずっと思っていた。

最近はやっとまだまだこうした宮沢のような人間を支えている敗戦利得者が多数、永田町、霞ヶ関、マスコミにいるってことだ。



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